長野 遊郭

長野にあった大規模な遊郭|当時の建物が多く残る

長野県の特徴を大雑把に言うと
面積が広く山岳地帯が多いことから可住面積が狭いが、
新幹線が通ってることなどから人口はそれなりに多く、
国宝を含めた歴史的建造物が多数存在している、
といった感じです。

 

どのくらい人気が高いかはわかりませんが、
観光地としてはかなり楽しめる地域だと思います。

 

ただ風俗については日本トップクラスの厳しさであるがゆえ、
観光ついでに風俗街に繰り出すといった遊びはできません。

 

できないといったら語弊がありますが、
残っているのはほとんどがピンサロなので
ソープ街はおろかヘルスが密集した地域もないです。

 

そのあたりはさすが教育県といった感じですが、
昔は全く状況が違っていました。

 

というのも、遊郭が多く作られていたのです。

 

しかもけっこう規模が大きいところもあり、
合計すると現在のデリヘル嬢の数と同じか
それ以上の遊女がいたかもしれません。

 

上諏訪町の上諏訪町衣之渡遊郭、塩尻市の塩尻遊郭、
松本市の松本市遊郭、長野市の長野市遊郭、
坂城町の坂城町遊郭、上田市の上田常盤城遊郭、

 

岩村田町の岩村田町遊郭、平穏町の湯田中遊郭、
長久保町の長久保遊郭と遊郭と名のつく場所だけで
9箇所も存在したのです。

 

特に規模が大きかったのは松本市遊郭、長野市遊郭、
上田常盤城遊郭、湯田中遊郭の4箇所。

 

松本市の横田町にあった遊郭は妓楼が21,娼妓が120人も、
上田常盤城遊郭も同じくらいの規模であったそうです。

 

湯田中は100名ほどの遊女がいたとのこと。

 

長野市の遊郭は遊女の数はよくわかってませんが、
妓楼の数が最も多かったところをみると
3桁に達していたことは間違いありません。

 

長野県の遊郭は明治11年に作られ、
長野の鶴賀、上田の常盤城、松本の横田は
信州三大遊郭といわれていました。

 

そして長野県は戦災を免れた地域が多いことから、
当時の建物が多く現存している特徴があり、
例えば松本市には今でも妓楼と思わしき建物で
旅館を営んでいるところがいくつか散見できます。

 

長野市の遊郭は江戸時代から続く色街が
リニューアルした形で誕生したようです。

 

門前町はかつて宿場町として栄えましたが
同時に遊里としても発展を遂げます。

 

明治時代に入ると善光寺を中心に近代化が進み、
東側の鶴賀新地に移転することになります。

 

新地は文字通り新しく開拓された土地を指しますが、
遊郭も同時に作られたり移転したりすることが
多かったことからたびたび遊郭を表す隠語として
今でも密かに使われることがあります。